昨日の富士山とオオデマリです。花がまだ青みがかってます。2~3日すると
真っ白になると思います、まるでアジサイの花のようです。
大手毬 スイカズラ科 ガマズミ属 別名=テマリバナ(手毬花)
ヤブデマリから改良されたもの。苗木から10年ほどたちました。見事ですよ!

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【ミニバラ】
下の息子夫婦から昨日宅配便で贈られてきました。ミニバラのカゴが入っていました
明日は母の日ですよ!と。(⌒~⌒)ニンマリ
カーネーションにしようかと思ったけれどピンクの薔薇が可愛かったから薔薇にしたよ。
見るとイトーヨーカドーららぽーと横浜店queen’s Gardenのものでした。
ららぽーとのレストランに開店と同時にお勤め。今度長男夫婦と行くんだ!ニコ
バラが咲いた~~~♯ρ(^∇^*)♭_♪ラン♪♪ララン♪♪

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今日は母の日です。
【母の思い出】
実母の思い出というとたくさん思い出されます。2年前の年の瀬30日に病院で
亡くなりました。92歳でした。たった2週間の病院生活でした。
その時私と長兄が付き添い当番でした、
二人の見守る中天国に旅立ちました。92歳までしっかりして最後まで
「悔しいな~あ~~」とそれは自分の意思に反して生かせてもらえない悔しさ
だったのかなと解釈しました。日増しに衰えていく自分に母は逆らうことに力つきてました。 覚悟はしていましたがいくつになっても親は親です。
悲しいより寂しさが残ります。年末年始で忙しい時に死出の旅を大勢の人たちに
見送られ毎年思い出したくなくても思い出される母の「忘れないでね」といってるようにも思えます。
私の中には今でも母は生きています。5人の子供に恵まれ父に仕え明るい家庭を
支えてきた母でした、天真爛漫な。
幼い時実母と別れ子供のいない叔母の養子にいきでもそこでも大事にされたようです
私がその事実を知ったのは物心付いた時周りからでした。母の口からは聞いたことは
1度もありませんでした、年老いてから少しは昔は~~~と話してました。
その意味では母も精神的な面では苦労があったと思います。
でも母の兄弟はみな【Aねえ~~」といい慕ってくれ行き来してました。
人柄だったのかもしれません。それも優しい父がいたからだと思います。
いつも口癖が「私には好きな人がいたけど戦死してしまいちょうどもらいに来た時に
しょうがないから布団の中で返事した」と。まあ。ノびっくり!!
「戦死した人は良い男だった、お父さんのように不細工じゃなかった」
「どうでもいい結婚だった」と父の前でも平気でいうような人でした。
それも父は笑って聞いてましたがいい気はしてなかったと思います。
でもそんな話もしても許せちゃうような人でした。父は母を大事にしてたのは
子供達もわかっていました。
でも家庭のことはしっかりやり途中からは年老いた舅姑の世話もして一緒に住んでいました。
面倒見の良いいつも明るい周りには大勢の人がいました。お喋りだいちゅきでしたね
私も・・・・・・・・・((* ・・*)だいちゅきです。(ΦωΦ)ふふふ・・・・似るんですよ~ん!
私が20歳の時盲腸の手術した時も1晩オナラが出るまで付き添いくれるっていいながら (盲腸の時オナラが出ないと命取りなんですよ)
昔の首相がオナラが出たときは日本中が大喜び、号外が出るほど有名ですよ。
近くの従姉妹の家に行ってしまいまったくンモォー!! o(*≧д≦)o″))でした。
帰って来たのは翌朝私が
「オナラでたよ」と
母は「よかったね。それを心配してたんだよ」
「嘘ばっかり」Σ(=’□’=)ウッソー!?(-_-;)ホントカ・・・オイですよ・
【へでもない】とはこのことか・・・アハハハオオオオォ……(ノ゜ο゜)ノミ(ノ _ _)ノコケッ!!
3人の姉妹の中で私が1番容姿も性格も似てると自他共に認めてます。
あまり叱られた記憶がないんです・・良い思い出ばかりで。
私が未熟児で生まれ病弱で他の子供より特別扱いされ甘やかされていたようです。
今の私からは想像もできませんよΣo(*’o'*)o ウオオォォォォ!!
でも口やかましいくらい礼儀作法、人との繋がりを大事にした人です。
父のお給料だけでやりくりし決して贅沢ではなかったけれど近所でお金を借りにくると
そーと渡していた記憶があります。後で聞くとそのままになってる人が多かったようです。 でも決まったお金が入ってくるというのは母にしてみれば心強かったようで
父に感謝してました。(周りは農業の人が多かったですから現金収入が無い。)
「貸してやるということはあげるということなんだよ、アテにしちゃだめだよ」
私によく「misaは私に似てるからお金や物に困らない生活できるよ」
「何で?」
「そういう星の下に生まれてるんだよ。だからほしいと思ったものは必ず手に入るよ」
「世の中そういう風に回ってるんだよ。だからケチケチしないでお金は使っても
大丈夫、でも自分の自由になるお金も貯めておきな!」
なに?へそくりつくれってこと・・・いまだにわからないです・・
唯一思い出すとすると私の結婚に反対した時のことです。
「何でお前が好き好んでいかなければならないんだ?苦労するのは分かりきってる」
「9人も兄弟がいて長男それに親とおばあさんまで。覚悟して行かないと」
その時も母親としての親心だとはわかっていました。もし私が母の立場だったら・・
胸が締め付けられる思いでした。
最後には「本人次第だから」と祝福してくれましたが。
夫は反対されてることは承知してました。しかし夫はそれからずーと自分の母親以上大切にしてくれ母もそれが十分わかっていました。
最初から反対しなければよかったのにンモォー!! o(*≧д≦)o″))
でも今の生活のあるのも許してくれたから・・・・夫と結婚出来たのも・・・・
亡くなる前はスポーツなどもその歳で観戦し巨人が負けると
「面白くない」といい相撲も「モンゴルばっかかって面白くない」テレビを消す始末。
サッカーもあらゆるスポーツに声まで出して声援していたそうです。
夜遅くまで韓国ドラマの「チャングムの誓い」など深夜に放映するにもかかわらず
見てから就寝する。気も若いが身なりもお洒落流行には敏感でした。
子供の私から見ても我が儘、結構好き勝手に生きてきたなと思っていますが
母の1番の楽しみ孫の成長、孫を可愛がり、特に内孫を孫もそれに答え母としてはこの上ない幸せの人生を全うしました。私はそう思っています。
今でもしっかり見守ってくれてるだろうなと!私も母のように人がたくさん寄って来て
子供や孫に慕われる人になれるのかな・・・いつも兄弟が集まると母の思い出話に。
息子達も「お母さんはおばあちゃんにそっくり」姪や甥までも・・・
兄二人は「misaお前が1番似てるしその上を行ってる」と言われてます。
私は「あんな我が儘じゃない」と反論してますが夫は横でニヤニヤ
そうだといわんばかりの顔をしています。
気持ちわる~う!{{{{(+ω+)}}}}寒ううぅ~????
ああ~あ!母の日に感傷に慕っててたのに自分でぶち壊しちゃったよ!
あほな私!Σ^)/アホーアホー☆ミドヨーン(・o+) アチャー。
(p_・q) チラッ ウソナキィ!イッケネー(・ω・;ゞ⌒☆ペシッ
天国で怒ってるかも・・・・・・(-人-)ごめんよおぉ゜・゜☆コノヤロー!!
でも私の心の中にはいつも母が一緒にいます。
母の遺言は兄弟仲良くするようにでした。大丈夫ですよ!安心してね。
後で線香の1本もあげに行くからね!Σo(*’o'*)o ウオオォォォォ!!